意欲とコンテンツの密接な関係
2016.10.06 20:47|若手理事ブログ(工藤大貴)|
今週末、全国から共存の森学生メンバー30人が集まる全体合宿がある。
聞き書き甲子園スタッフ、共存の森づくりメンバー(農山漁村での交流・地域づくり活動)、ond生、弊団体インターン生、そして僕ら若手理事といった面々です。弊団体に関わる学生達の意欲やコミット率は、外の人が評価するほどは高くないと思ってる。多くのNPOで、弊団体より主体的な学生の活動を展開しているなぁと感じるんだよね。その感情は、焦りや悔しさ、自己嫌悪を伴ってやってくる。「こんなところで負けてられないぞ」だとか「あのNPOの経営者みたいにもっと頑張ればいいだけなのに、どうしてもっと頑張れないんだよ自分」だとか。そして、そのマイナスな感情は時にメンバーに向く危うさをはらんでいる。「なんでみんなもっと頑張らないんだ、どうしたら頑張ってくれるんだろう」という感じだ。
3年ほど前までは僕もそんな危うさをバリバリに持っていた。だけどある活動を境にしてその考えはかなり手放せたように感じている。その考えを手放した先にあった次の思考が、メンバーの意欲はコンテンツの中でしか向上しない、ということだ。
どうしてもっとみんな頑張らないんだよ思考だと、メンバーとサシ飲みしてみようだとか発破をかけようだとかフレームワークやらせてマインドセットさせようだとかそんなことを考えがちになる。こんなことばっか考えていると、こっちが正しい側(救う者)であっちが間違っている側(救われる者)っていう対立関係ができてしまう気がするんだよね。それが一概に悪いとは言わないけどそれらは附録みたいなもん。メンバーの意欲はコンテンツの中でしか向上しない思考だと、「まずは自分が楽しめるコンテンツを創ろう」が大前提となる。他に一緒に活動してくれる仲間がいなくても、とにかくめちゃくちゃおもろいやんけって自分で思えるものをつくってみる。で、これはなかなかおもろいぞってコンテンツが生まれたらそこに仲間を誘ってみる。別に新規事業じゃなくてもこれは転用可能。
例えば聞き書き甲子園スタッフの意欲が上がらないなぁって現状がある。いや、そもそも自分は意欲的に動いてるのか?自分は楽しんでるのか?ってことを振り返って自分が楽しめるものをつくる。要は人のこと言う前にてめえがやれよっていう話。僕だったらデザインとか写真とか言葉の力が好きなので、例えば甲子園の次年度ポスターを美大とコラボして作ろうってことを企画する。(ちなみに先日某美術大学にこっそり可能性の話としてこのようなことを相談して断られたが、諦めてないぜ。いずれ実現させてやるぜ。こっそりとひっそりと進めているリアルアイデアでした。)で、そんなことを企画して実際に動きだせるぞってなったら、デザインとかアートとか興味ありそうなスタッフを誘っちゃう。めちゃくちゃ単純な話だけど学生の意欲が低いってのは基本的にそれが面白くないから。だったら自分からまずはおもしろがればいいじゃんっていう、まあ当たり前のことだね。当たり前なんだけど、一人で動き始めるのは怖いし、メンバーの意欲が低いのがめちゃくちゃ気になっちゃうから、なかなか冷静になりにくいところではある。
そしてこういうことを言っていると、ある疑問を投げかけられる。「そんなに一人でコンテンツつくり始めて、チームのなかで浮きませんか?一緒にやる仲間でてこなかったらどうします?メンバーが途中参加だと受け身になりません?」って感じ。
まず、その程度で浮くチームだったらやめてやるか、徹底的に浮き続ければ良い。出過ぎた杭は打たれないってやつだ。一緒にやる仲間がでてこなかったら一人でやりきるか、自分の考えたコンテンツが面白くなかったと受け入れて改良するかどっちか。ゆっくりじっくりやればいいんだよ。最初は受け身の可能性が高い。だけどそこはやり方次第じゃない?(以前書いた『風土記を目指して』も参考にしてほしい)
長々とどうしてこんな話をしたかと言うと、今回の全体合宿。史上最も頭を悩ませたんです。こんなプログラムどうかなって思い付いたものを頭でイメージしても全然良いイメージができなかった。昨日ふと気付いたんだけど、なんで頭悩ませていたかって僕がいつのまにか「どうしたらみんなのやる気あがるんだろうか」ってことを、合宿内でのワークや議論だけで解決しようとしてたからなんだよね。正しい僕と間違ってる皆の構図になりかけてたのかもな。自分きもちわるいなぁ。だけど、ハッとして冷静になって、ひとまず、来年の4月どんな風になってたら共存が最高に面白いかなってことを箇条書きにしてみた。そして、そうなるために足りないコンテンツをどうやったら自分は作れるかなってことを考えてみた。考えてみたらなかなかおもろいぞって感じになってきたんだ。合宿ではそんな話ができるといいな。一緒にやらない?のスタンスで誘って、それを一緒におもしろがってくれるひとがいたら最高だ。全然面白くないわ、って言ってくれるひとがいたらなおさら最高。
自分が当事者になること。どんな立場であっても、そこを軸にやっていけたらいいよね。
聞き書き甲子園スタッフ、共存の森づくりメンバー(農山漁村での交流・地域づくり活動)、ond生、弊団体インターン生、そして僕ら若手理事といった面々です。弊団体に関わる学生達の意欲やコミット率は、外の人が評価するほどは高くないと思ってる。多くのNPOで、弊団体より主体的な学生の活動を展開しているなぁと感じるんだよね。その感情は、焦りや悔しさ、自己嫌悪を伴ってやってくる。「こんなところで負けてられないぞ」だとか「あのNPOの経営者みたいにもっと頑張ればいいだけなのに、どうしてもっと頑張れないんだよ自分」だとか。そして、そのマイナスな感情は時にメンバーに向く危うさをはらんでいる。「なんでみんなもっと頑張らないんだ、どうしたら頑張ってくれるんだろう」という感じだ。
3年ほど前までは僕もそんな危うさをバリバリに持っていた。だけどある活動を境にしてその考えはかなり手放せたように感じている。その考えを手放した先にあった次の思考が、メンバーの意欲はコンテンツの中でしか向上しない、ということだ。
どうしてもっとみんな頑張らないんだよ思考だと、メンバーとサシ飲みしてみようだとか発破をかけようだとかフレームワークやらせてマインドセットさせようだとかそんなことを考えがちになる。こんなことばっか考えていると、こっちが正しい側(救う者)であっちが間違っている側(救われる者)っていう対立関係ができてしまう気がするんだよね。それが一概に悪いとは言わないけどそれらは附録みたいなもん。メンバーの意欲はコンテンツの中でしか向上しない思考だと、「まずは自分が楽しめるコンテンツを創ろう」が大前提となる。他に一緒に活動してくれる仲間がいなくても、とにかくめちゃくちゃおもろいやんけって自分で思えるものをつくってみる。で、これはなかなかおもろいぞってコンテンツが生まれたらそこに仲間を誘ってみる。別に新規事業じゃなくてもこれは転用可能。
例えば聞き書き甲子園スタッフの意欲が上がらないなぁって現状がある。いや、そもそも自分は意欲的に動いてるのか?自分は楽しんでるのか?ってことを振り返って自分が楽しめるものをつくる。要は人のこと言う前にてめえがやれよっていう話。僕だったらデザインとか写真とか言葉の力が好きなので、例えば甲子園の次年度ポスターを美大とコラボして作ろうってことを企画する。(ちなみに先日某美術大学にこっそり可能性の話としてこのようなことを相談して断られたが、諦めてないぜ。いずれ実現させてやるぜ。こっそりとひっそりと進めているリアルアイデアでした。)で、そんなことを企画して実際に動きだせるぞってなったら、デザインとかアートとか興味ありそうなスタッフを誘っちゃう。めちゃくちゃ単純な話だけど学生の意欲が低いってのは基本的にそれが面白くないから。だったら自分からまずはおもしろがればいいじゃんっていう、まあ当たり前のことだね。当たり前なんだけど、一人で動き始めるのは怖いし、メンバーの意欲が低いのがめちゃくちゃ気になっちゃうから、なかなか冷静になりにくいところではある。
そしてこういうことを言っていると、ある疑問を投げかけられる。「そんなに一人でコンテンツつくり始めて、チームのなかで浮きませんか?一緒にやる仲間でてこなかったらどうします?メンバーが途中参加だと受け身になりません?」って感じ。
まず、その程度で浮くチームだったらやめてやるか、徹底的に浮き続ければ良い。出過ぎた杭は打たれないってやつだ。一緒にやる仲間がでてこなかったら一人でやりきるか、自分の考えたコンテンツが面白くなかったと受け入れて改良するかどっちか。ゆっくりじっくりやればいいんだよ。最初は受け身の可能性が高い。だけどそこはやり方次第じゃない?(以前書いた『風土記を目指して』も参考にしてほしい)
長々とどうしてこんな話をしたかと言うと、今回の全体合宿。史上最も頭を悩ませたんです。こんなプログラムどうかなって思い付いたものを頭でイメージしても全然良いイメージができなかった。昨日ふと気付いたんだけど、なんで頭悩ませていたかって僕がいつのまにか「どうしたらみんなのやる気あがるんだろうか」ってことを、合宿内でのワークや議論だけで解決しようとしてたからなんだよね。正しい僕と間違ってる皆の構図になりかけてたのかもな。自分きもちわるいなぁ。だけど、ハッとして冷静になって、ひとまず、来年の4月どんな風になってたら共存が最高に面白いかなってことを箇条書きにしてみた。そして、そうなるために足りないコンテンツをどうやったら自分は作れるかなってことを考えてみた。考えてみたらなかなかおもろいぞって感じになってきたんだ。合宿ではそんな話ができるといいな。一緒にやらない?のスタンスで誘って、それを一緒におもしろがってくれるひとがいたら最高だ。全然面白くないわ、って言ってくれるひとがいたらなおさら最高。
自分が当事者になること。どんな立場であっても、そこを軸にやっていけたらいいよね。
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